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患者様インタビュー

Vol.350代で手術に踏み切った患者様の事例|患者様のインタビュー 第1回(全2回)2023.06

今回は、10代で特発性側弯症の診断を受けながらも、その当時は症状が軽かったために特に治療を行うこともなく年齢を重ね、40代で症状悪化、50代で手術に踏み切ったOさん(女性)のエピソードを紹介します。成長期が終わったからと言って、必ずしも脊柱変形の進行が止まるとは限りません。Oさんの場合はまさに自覚症状もないまま密かに変形が進んでいたというケースでした。Oさんは53歳で手術を受け、現在は支障のない日常生活を送っています。それでもやはり「若いうちに、もっとしっかり側弯症に向き合っていれば」と後悔することがあると言います。「自分と同じように側弯症の治療や手術に思い悩む人のために、少しでも参考になるのならば」と、今回インタビューに応じてくれました。

全2回でお届けするインタビューの前編では、Oさんが「側弯症」と診断された14歳当時のこと、そして40代で腰痛や歩行困難の症状が出始め、大学病院の専門医のもとに足を運び、手術を受ける決意に至るまでを振り返ってもらいました。

側弯症の診断を軽く受け止めていた10代

── 最初に側弯症だと診断されたのは何歳でしたか?

Oさん:14歳です。自分でもよく覚えていないのですが、一緒に通学しているお友達から「背中が曲がってるよ」と言われたのがきっかけだったようです。家に帰ってきて母にそう話して、母もそのタイミングで気付いたのだと言っていました。そんなことすら覚えていないくらい、自分では自覚症状がなかったんですね。ただ、当時中学2年生で、教室の机に座っている自分は姿勢が悪かったという記憶はあります。先生にもよく指摘されていました。「背中が曲がっている」ということに自分よりも母親が驚いたようで、それですぐに大学病院に連れて行ってもらいました。でも自分はまったく深刻に受け止めていなかったですし、病院での診断も「装具を着けるほどではない」ということで、その後は1年に1度くらいの「経過観察」で大丈夫だという判断だったんですね。母もそれで安心したようでした。今のようにインターネットが普及している時代ではなかったので、側弯症がどういう病気なのかということも自分で調べることもなかったですし。

── 診断が出た後にも、特に何のケアもせずに過ごしていたんですね。

Oさん:そうですね。とにかく自分ではまったく心配していなかったので。ただ、母親が当時流行っていたぶら下がり健康器を買って、「やりなさいよ」と言われていたのは覚えています(笑)。でも特に不安も感じていなかったので、めんどくさくて全然それもやっていなかったですね。10代の頃は本当に何の不安もなく過ごしていました。検診も、高校生になるくらいまでは1年に1度は行っていたのですが、特に進行しているわけでもなかったので、だんだんと行かなくなりました。大学進学では地元を離れて上京したということもあり、18歳以降は定期的に検査を受けることもしなくなっていたんです。

手術前のレントゲン写真
手術前のレントゲン写真

── その後、異変に気付いたのはどんなきっかけでしたか?

Oさん:20代前半までは側弯症のことは特に意識することなく過ごしていたんですが、就職して社会人になって、職場で健康診断を受けたときに「あれ?」と思ったんです。肺のレントゲンを撮って、その写真を見た時に、自分でも背骨が曲がっているのがわかって愕然としました。「ああ、こんなに曲がっているんだ」ということに初めて気が付いて、まずは近所の整形外科クリニックに行きました。でも、「この年齢で装具を着けても、効果はあまり期待できない」という話でしたし、セカンドオピニオン的に他のクリニックでも診てもらったのですが、どの先生も「手術はすごく大変だし、手術後の生活も大変だからなかなかすすめられないです」という感じだったので、結果的にはそのまま放置してしまって。

── 健康診断でレントゲン写真を見る前には、自覚症状はなかったのですか?

Oさん:腰の痛みを感じたりはしていましたが、それも仕事で同じ姿勢でいる時間が長くなればそういうこともあるよなと思うくらいで、腰痛を側弯症に結びつけて考えることはなかったですね。なので、レントゲンの写真はショックでしたが、日常生活に大きな問題があるわけでもないし、あまり気にしないようにしていました。でも、今振り返れば、生活に不自由が出る前に、ちゃんと側弯症に向き合っておくべきだったなと思います。

── その後、本格的に病気と向き合うことになったのは何歳の頃ですか?

Oさん:48歳くらいだったと思います。腰痛がひどくなり、背中側の肋骨の位置が左右で極端にずれていることに気付いて。本来は左右対称であるべきはずの骨が、背骨を中心にして右と左で極端に高さが違う。これは側弯症が進んでいるんだなと。その頃にはもう仰向けでは寝られないほど腰痛がひどくなって、海老のように体をまるめないと眠れないほどでした。少しでも寝られるようにいろんな寝具を試したりもして。そしてまた整形外科のはしごをしたり、整体にも通いました。関東近辺で「治す」という文字があればかなり遠いところにも足を運んで。もうすがる思いでしたね。今思えば、それではどうにもならないこともわかっていたんですけど、クリニックの先生方は「手術は大変ですけど、どうしますか?」という感じで、最終的には自分で判断しない限り前には進めなかったんです。なかなか手術を受けるという決断ができなかったのは、「手術は受けたくない」という思いがずっと根底にあったからだと思うんですね。きっと、受ける意志が少しでもあったなら、自分で専門医の情報を調べて、近所の先生に紹介状を書いてもらってすぐに行っていたと思います。でも、ずっと「怖い」「大変」とお医者様にも言われてきたので、一歩を踏み出す勇気が出ませんでした。

── 手術を受けようと決断できたのはどんなきっかけだったのですか?

Oさん:まず毎日の通勤で、自宅から駅まで10分の距離を歩くことができなくなってきたんです。これはなんとかしなければと思っていた矢先に会社の健康診断がありました。その健診担当の先生が私の状態を見て、「今、D病院で積極的に手術を行っている先生がいるから、そこに一度行ってみては」と教えてくれたんです。D病院のI先生に診てもらったのは、その先生の一言があったからです。「近所なんだからまずは行ってごらんよ」って。やはりお医者様に背中を押してもらいたかったんでしょうね。それでようやく専門の先生に診てもらう決心がついたんです。初診時にはもう「手術をいつ頃にするか」という話になっていました。D病院のI先生に診てもらうということは、自分のなかでも「手術を受ける」という気持ちが固まったということでもあったので。その頃はもう背骨は60度くらい曲がっていて、身長は10センチも縮んでいたんですよね。

※第1回は終了です。第2回は手術を受け入れるまでの経緯と、退院後の生活を振り返ります。

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